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10時間で1センチ~アメリカ難産出産体験記2~ [妊婦生活]

14時30分に薬を投与されてから、のほほんと過ごした2時間。
しゃべったり、本を読んだり、アイス食べたり、
そしてその間にD氏はいったん帰宅してたりと、至って余裕であった。

16時半が過ぎ、だんだん痛みが増してくる。
本来ならば、子宮口をやわらかくする薬なのだが、副作用で陣痛が起こるらしい。
この時点で7分間隔の陣痛が始まっていた私。
まだ痛みと痛みの間隔も長いし、ちょっと耐えれば痛みが治まるから、と
ロッキングチェアーに座ってみたり、他の部屋のモニターを見てみたり。

ナースたちは、これを遠隔で見ていて、胎児の心臓と母体の陣痛を
モニター管理してるのである。

チェアーに座る私。
この痛みに何回耐えると、子宮口がやわらかくなるんだろう?と思いつつ
30秒~1分続く痛みに耐える。

18時30分、陣痛の痛みが3分間隔に。
だんだん耐え難くなってくる。
そして、いつも診てくれていた主治医のアダムス先生が登場。
だんだん我慢ができなくなってきて、「痛いです!」と訴える。
で、ここで子宮口の検査をしてみたら、なんと・・・
0センチ開き
私にとっては、全く子宮口には効かず、
ただ、いたづらに陣痛を起こしていただけであった薬。

ドクターたちが、協議。どうやってこれから進めるか?という結論を待つ間に
陣痛の間隔は2分に。

子宮口が開いてないのに、陣痛だけ起こすと、胎児にものすごい負担がかかるらしい。
このときベビ子の心拍は160以上に。
とりあえず陣痛の間隔を伸ばす薬と、痛みを和らげる薬を投与される。
もう寝ていられない、うなり続ける、イタイイタイイタイ。

麻酔投与後、突如吐き気が。
麻酔の感覚で、下半身がうまく働かないけど、
ナースやD氏に支えられ、トイレへ。
とにかく痛みに耐えられず嘔吐、嘔吐を繰り返す。
このとき、余裕~♪と思って食べたアイスキャンディーたちが一気に外へ。

正直、ここからの7時間が、ほんとにきつかった。
寝ぼけながらも、「喉が渇いた」だの、「痛い」だの言った覚えがあるけど、
水も飲んではいけなかったので、アイスチップを食べさせてもらう。

すこーし麻酔が効いて、うとうとしたのが30分くらい。
22時ごろ、また麻酔が切れて、2度目の麻酔。
23時には、麻酔が切れて陣痛が1分間隔。
いくら痛くても、産めない。
泣く、さけぶ、わめく、うめく、弱音を吐く、
そんな状態の私を見ながら、看護婦もD氏も困惑。

日が変わり、11月22日になり、0時頃、再度ドクターが子宮口の検査。
やっと1センチ開いたという。

10時間かけて、1センチ。10センチまであと何時間これに耐えるのか?
そしてまた嘔吐。
もうほとんど記憶にないけど、ひそひそ話す看護婦とドクターの話では
胎児が危険な状態にあるっていうのが聞こえてきた。

そして、こんなにこの麻酔で嘔吐を繰り返す患者もいない、とのこと。
この言葉を聞いて、あ、私も、もう死ぬかも、って思った。
帝王切開でも、逆立ちでもなんでもいいから、とにかくベビ子だけでも助けて欲しい!
よくドラマで母子ともに危険な状態です。ってあるけど、
それになったら嫌だね~なんて、冗談で笑いあっていた日を思い出してた。
楽しみに待っていてくれるであろう、日本の家族、親戚、
友達の顔が思い浮かんだ。

夜中2時になり、再度ドクターが登場。
これ以上、腕からの麻酔をするのはやめて、
急遽、エピデュアルという硬膜外麻酔を開始することに決定。
これは、背中に麻酔を入れて、下半身に局部麻酔をするもので、
無痛分娩用の麻酔である。

ほどなくして、麻酔医師が到着。
この頃、私はあまりの痛みにほとんど意識が無く、
麻酔医師がものすごい痛がる私をみて、かなーり引いてたらしい。(D氏談)
「彼女は、初めての分娩なの?」と看護婦にしきりに確認していたらしい。

麻酔医師に、私の意志を確認される。
かける麻酔について、どういう作用が起こるか、薬アレルギーは無いか、
そして本当にかけてもいいのか?
などなど、質問される。
そして、意識も朦朧とした中だったけど、書類にサインさせられ
麻酔投与開始。

あっという間に右足の感覚から無くなり、痛みもすーっと引いてくる。
5分もしないうちに、今まで苦しんだことがウソのように、痛みが消えていった。
麻酔医師が神に見えた瞬間であった。

麻酔投与時、部屋から強制退出させられていたD氏。
D氏も正直ダメかも・・・と思って、ものすごい怖かったそうだ。
二人でのんびりコーヒーを飲んで、談笑していた日々を思い出してくれていたそうだ。

その3へ続く



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雪の日の大事件 ~アメリカ難産出産体験記1~ [妊婦生活]

ご報告。

11月21日 14時06分EST 3288グラム(7lb 4oz)の女の子を出産しました。
人生で何度も経験できることではないので、
記憶が新しいうちにブログに残しておこうと思います。


始まりは、ここHartfordに朝から大雪が降った日であった・・・

11月20日雪。朝からボタボタと大粒の雪。
すげー、11月に雪が降る場所に初めて住んだ!とかなり感動。
寒いけど恒例のウォーキングにでかけた我ら。
コミュニティーのジムまで向かう道で、
誰も踏みしめてない雪の感触は、すっごい気持ちよくて、
傘にあたる雪の音が、大雨みたいにボツボツいっていたっけ。

ウォーキングが終わる頃には雪も止んで、一安心。
予定日が過ぎたので、この日は大きい病院で、NSTと呼ばれる胎児の動きを検査する
予約が入っていたのである。

待ち時間もほとんどなく、通された保健室みたいな部屋。
カーテンで囲ったベットがいくつか並んでいて、
お腹にモニターをつけられ、胎児の心音と動き、お腹の張りをチェック。
途中で、飲み物を飲んだら、と看護婦に薦められアップルジュースを飲む。
「動きが悪いわね・・・」と言われ続け、約30分で終了。

そして、念のため、Urtrasound(超音波)にて胎児を検診。
しかめ面で画面を見ていた検査技師さんの表情に不安を覚えつつ、
いわれた一言が。

羊水の量が少なくなっていて、このままでは危険です。」

即、ドクターより入院&出産の指令が下り、
気楽に構えていた我らは、突然入院する分娩室まで、強制連行されたのである。

時間はお昼の12時。
お腹も空いてたし、昼ごはんは昨日のコロッケを温めて食べようなんて話してたのに、
看護婦に、着替えろ、寝てろの命令をされ、いわれるがままにあっという間にガウン姿に。

「お腹が空いたので、何か食べていいですか?」と聞くと、
「出産が終わるまでダメよ」と言われ、かなーりショック。
だいたいどうやって出産するかの方法やら、
目安の時間もまだ知らされてない状況だったから、
それを聞いただけで気が遠くなりそうだった。

アイスチップと呼ばれる氷、もしくはアイスキャンディーかシャーベットならOKといわれ
早速出してもらったアイスキャンディー。

あまりの空腹に欲張って3時間で2つ食べてしまった。
これが後で命取りになろうとは、その時私はちーっとも思わなかった。(後悔)

着替えて落ち着いたら、看護婦が、
「Bunch of Questionsがあるわよ~」と言ってきた。
そういえば、Tons of とかBunch ofとかって、すっごいラジオとか口語でよく聞く表現。
確かにすごい数の質問をされた。
病歴やら、アレルギーやら、出産の方法やら、妊娠の回数やら、ありとあらゆる質問。
宗教まで聞かれたけど、一応仏教徒ですといっておいたら、ベジタリアンだと思われてた。
全部の質疑応答が終わるまで30分はかかったかな。

母国語は日本語です、と言ったら、
通訳の電話システムがあるから、どうしても質問があればそれを使って、と言われたけど、
結局使うことは無かった。
一応勉強しておいて良かった、英語。と心から思った瞬間であった。

これから出産まで、食事ができないから、点滴を。と言われて投与される。
「Vein(静脈)が出にくい体質だ」と言われ、手のひらにまで針をさされる始末。
これも結構痛かった
結局ベテラン看護婦がやってきて、あっさり手首に指されて点滴の準備完了。

14時30分ドクターの登場。
どうやって、進めて行くかを説明してもらう。

① 子宮口をやわらかくする薬を投与 12時間後にその結果を確認するとのこと
② やわらかくなったら、促進剤を入れて陣痛を起こす
③ 子宮口が10センチになったら、プッシュ開始

おそらく初産で明日11月21日の朝くらいにはなるでしょうね、と言われ、
またまたがっつり凹む。
だって、めちゃくちゃ空腹だったから・・・。(そればっかり)

しかし、この①の薬が、私とベビ子に悪夢を見せたのであった。

その2へ続く。




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